日本民家と昔のくらし
日本民家集落博物館へ移築された民家は、17~19世紀に建てられたもので、地方固有の風土と習慣から生まれる様式を色濃く残しています。
飛騨白川の合掌造り民家をみてみましょう。
飛騨白川の合掌造り民家の故郷、岐阜県大野郡白川村は、夏は涼しく過ごしやすいですが、冬は雪に覆われます。
茅葺きの切妻屋根(本を開いて伏せたような形)をもつ合掌造りという形式で建てられている民家は、屋根が急勾配になっており、降り積もった雪を自然に落下させ、雪の重さで家がつぶされるのを防いでいます。
屋根裏には広い空間があり、そこでは養蚕が行われていました。
屋根裏は採光や通風が工夫されているため夏場は涼しく、蚕が弱るのを防ぐことができるため、養蚕に適していました。
白川村のような山間部は、農作物が育ちにくく、特に稲作には不向きな地域であるため、養蚕が主要な生業となっていました。
飛騨白川の合掌造り民家のように、土地の自然を活かし、調和しながら生活を営んでいた人々の知恵が当館に移築された民家の随所にうかがえます。
民家から見える昔の人々の知恵
1.土間
土間とは、土を叩き固めた床のことです。玄関近くにあり、土足のまま屋外と屋内を出入りできる空間です。
ムギワラなどの材料をより合わせ、ねじりながら1本の縄を作るワラないや、コメやヒエのもみ殻とりを行う作業場として使われ、ウシやウマの部屋である馬屋や風呂なども置かれていました。


ウシは畑を耕すために飼われており、その名残で飛騨白川の合掌造り民家の前には「牛つなぎ」と呼ばれるY字型に切られた木が立っています。
当博物館にある民家の中で、風呂場があるのは大和十津川の民家のみです。
その他の家では、土間に風呂桶を置いて入っていました。
2.台所

料理をするときには、囲炉裏(いろり)や竈(かまど)を使っていました。
囲炉裏とは、床を四角く切って火をたく場所のことで、鍋をかけて料理ができ、暖房の役割も果たします。

棚元には、囲炉裏のそばで眠るネコが夜中に食料室や台所へネズミを捕りに行くための出入り口があります。
飛騨白川の合掌造り民家では食料室のことを「なかのみんじゃ」、台所のことを「みんじゃ」と呼びます。

飛騨白川の合掌造り民家の囲炉裏の上には、火天(ひあま)という大きな四角い板がぶら下がっています。
火天は、囲炉裏で火をたくときに火の粉が上がって家が火事になるのを防ぐ役割を果たします。
火天の上に濡れた蓑(みの)や穀物を広げて乾かすことができ、魚を串に刺して置いておくと燻製することもできます。

南部の曲家の土間にある変わった形の囲炉裏は、「ふんごみ炉」と呼ばれており、人が履き物を履いたまま火にあたることができます。
隣の馬屋の屋根に空気抜きの小さな穴を開け、囲炉裏で暖めた土間の空気を馬屋へ流す工夫がされています。

竈とは、土間に土を盛り上げて鍋や釜を上に乗せてたいて料理をするための場所です。
日向椎葉の民家や信濃秋山の民家では、ヒエ、アワの雑穀ごはんやみそ汁などを囲炉裏や竈でたいていました。

物を洗ったり水を流したりする所を「ながし」と呼びます。
昔は水道がなかったため、山奥の村では木をくり抜いて作った樋(とい)で湧き水を台所まで流していました。

水は水ぶねという大きな木の箱にためて使いました。
井戸からくんだ水を水がめに入れて使う家もありました。
日向椎葉の民家の台所には、竹でできた水きりがついており、お椀や鍋を伏せておいておくと、しずくが下に落ちる仕組みになっています。
3.寝室

摂津能勢の民家には、納戸(なんど)と呼ばれる寝室があります。
納戸には窓がなく、戸を閉めると真っ暗になります。
昔は、人が眠ると魂が体から離れてしまうと考えられ、魂の抜けた体に魔物(キツネや亡くなった人の霊)がとりつかないように外からの入口をきちんと閉じていました。
信濃秋山の民家には布団がなく、かますというむしろを2枚縫い合わせて袋にした寝袋のようなものに入って眠りました。
4.トイレ

飛騨白川の合掌造り民家のトイレは「へんちゃ」と呼ばれています。
昔は、自分たちでくみ取りを行い、夏の間は糞尿を畑のこやしとして利用していました。
大和十津川のトイレには刀かけがあります。
幕末の頃、幕府を支持する人と幕府を倒そうとする人の間で争いがあり、トイレで敵に襲われても反撃できるように用を足している間はここに刀を置いていたようです。
当時、紙は貴重品だったため、トイレットペーパーの代わりにワラ縄を小刀で切って使っていました。
民家と昔の人々のくらしが、現代を生きる私たちに伝えるメッセージ
現代は物にあふれています。
欲しい物があれば、スマホをワンタップするだけで、明日には手元に届いてしまう時代です。
現代のように物流が発達していなかったころには、生活に必要な物を手に入れることがむずかしかったのです。 だからこそ、人々は巡り合った物に縁を感じて大切にし、手入れを繰り返しながら、一つの物を長く使うことができるように工夫していました。
当博物館では、みなさまからのご支援をいただき、民家の屋根を定期的に修理する取り組みを行っています。
これは、昔の民家と昔の人々がくらしの中で行っていた習慣を現代につなぐ取り組みでもあります。
定期的に屋根の修理を行うことで、茅葺の技術を、経験豊かな職人が若手の職人に伝える機会ができ、民家と民家を守る技術を将来に伝えることにつながるのです。
現代のくらしは、物質的には豊かになりましたが、人と人とのつながりは希薄になってしまっているのではないでしょうか。
今、わからないことがあれば、そこに人がいなくても、スマホを開いてインターネットで検索すれば、自分で考えずともすぐに答えを求めることができます。
インターネットがなかった時代、わからないことがあれば、家族や隣近所の人々で集まって話をし、知恵を出し合っていたのでしょう。
現代社会では生活の多様化が進み、昔の人々が家族でいろりを囲んでいたように、家族で食卓を囲むことがむずかしくなってきています。
家族や友人とともに昔の人々のくらしが息づく民家を訪れ、昔ながらの知恵や習慣を伝える人の話を聞いて、昔の人々のくらしに思いを馳せることが、家族や身近な人とのつながりの大切さを知ることにもなると考えるのです。

